2019年02月24日

乃木希典(まれすけ)さんのこと


2019.2.23 京都北山・小峠

「美しい日本ものがたり」にあった論文、「乃木希典が示した日本人の誉れ」(岡田幹彦 執筆)。

「坂の上の雲」で司馬遼太郎が書いた乃木希典さんは乃木愚将論だったようだ。私は無関心も災いし、何も覚えていない。

岡田さんはまずロシアの敵将ステッセルとの付き合いを取り上げている。ステッセルが軍法会議で死刑判決(敗戦の責任)を受けた際に弁護する資料を送るなどで刑を免れたが、困窮生活となった彼を人知れず支援。片や、ステッセルは乃木(以下敬称略)が明治天皇崩御後殉死した時、多額の弔意金を送付。

乃木は勝利(息子二人は戦死)して帰国後、明治天皇に部下を多く死なせた責任を取って割腹して謝罪することを申し出たが、天皇の死後にしてくれと言われてしまう。明治天皇は乃木を学習院長に任命し、のちの昭和天皇の教育を担当させた。

日露戦争で負傷して不具となった兵士を毎月慰問したり、戦没者遺族への弔慰・支援、元部下の困窮者への支援など、徹底的に多くの部下を死なせた反省の行動に終始したようだ。

明治天皇崩御後、自宅で自決、奥さんも後を追う。遺言は「西南の役における軍旗喪失のため死ぬ」とあり、部下を多く死なせた責任とは記載しなかった。他の上級指揮官への波及を恐れたためだろう。夫妻の葬儀は国民葬となり葬儀場までの沿道は数十万の人で埋め尽くされた。愚将にこれだけの人が集まるはずがない。

ーーーーーーーーーーーーーーー
誰もが予期していなかった日露戦争の勝利は間違いなくアジア・黄色人種の人達を元気付けた。

乃木愚将論をどんな内容なのか興味もあるが、この論文を読む限り並みの人間ではない。日本のために命を賭けて戦い、戦死させた部下を思い、加えて敵の大将にも気遣いするなど並みではない。なぜ愚将になるのだろうか。

先日、京都東山トレイルで明治天皇御陵と乃木神社に行ったが、この論文を読んだ後なら、乃木神社参拝もさらに価値があっただろうと思う。神社にあった乃木の家(コピーされたものでしょう)は本当に質素な家だった。お金の大半は支援金として使われたのでしょう。
  

Posted by まめちるたろう at 01:34Comments(0)歴史