2018年08月10日
原爆の日に思う

2018.8.7 京都南部・鴨谷の滝(手振れでボケています)
広島(死者12万)に続き、長崎(死者3.5万)で原爆の日の行事が開催されました。
不思議に思うのは東京(死者10万)の大空襲を始め、都市(60箇所以上)の無差別爆撃のことが忘れられていること。
いずれも無差別の殺戮であり、通常なら国際法違反行為(記憶)なのに、東京裁判は一方的な裁判で日本のみを悪者とする裁判となった。
いずれ、これらのことを整理する時がくることを期待するが、現状は無理。
(民主党のオバマさんが広島に行ったことはすごいことでした。オバマさんも有色人種ということに関係があるかも。)
日本は自力で防衛できないのでアメリカに頼っているためだ。核を持っていないのでどうしようもない。
フランスはアメリカに守ってくれるかと問うた時に返事が無いので核を持ったと本で知った。
核廃絶は現実的には「核を使用させない」ように持って行くべきと思う。核を使えばお互いの国がなくなるから使わないだろう。
敵国が核を持っているのに持たないと言明するのは敵国の思うツボでしょう。要は全く怖く無い国になってしまう。
日本国憲法の前文; 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」
「諸国民」の中にC国や北があることはいうまでもない。
C国は連日尖閣周辺に船をだし、しかも船の種類は軍艦にまでアップグレードしています。世界に実効支配を訴えるための行動です。尖閣は紛争地域では無いとしている日本は見守るだけです。海上自衛隊ではなく海上保安庁出動で。
全くの偶然ですが、昨日の「虎ノ門ニュース」で上記の無差別殺戮を取り上げていた。