2018年11月07日
井戸の茶碗ー落語

2018.11.4 小野村割岳ー連理の枝
本を読み疲れたとき、YouTubeで硬い番組を見終わったとき、眠る前などに、時々落語を聞いている。
Youtubeにて「落語」で検索すると、三代目古今亭志ん朝の「井戸の茶碗」が引っかかってきた。聞いてみると面白い。
いくつかの演目の後、柳家喬太郎の「歌う井戸の茶碗」となりこれも面白い。その後、歌丸の「井戸の茶碗」、志の輔の「井戸の茶碗」、喬太郎の「井戸の茶碗」と5種の「井戸の茶碗」を聞いた。
5人の微妙な違いも面白い。主人公はくず屋の清兵衛さんなのでしょう。それに武士道精神の二人の武士(裏長屋の浪人と細川家の独身の家臣)が登場して、結局は浪人の娘と独身の家臣が結ばれる話。オチは違うところにあるが。
「井戸の茶碗」もそれなりの名品であることもわかった。元々は講談の演目だったようだが、面白いので古典落語として採用されたようだ。
なぜ、この落語に拘ったかといえば、「日本的だなー」と感心したからだ。外人さんなら「どんな感想を持つかなー」と思ってしまった。
これまでは落語を聞いても、いろんな演目の落語を聞くケースがほとんどで、今回のようにいろんな落語家の同じ演目を聞くのは初体験だ。それぞれ笑わせる場面が違うので、彼らの力量というか、凄さを思い知った。ここでファンが分かれるのでしょう。
これまでの認識はセリフが決まっていて、単に言い回しのみの工夫と思い込んでいた。どうもストーリーは決まっているが、あとは自由ということを初めて知った。くず屋の清兵衛さんの正直さの程度も演者により微妙に違っていたように思う。演者の思い、考えも入るのでしょう。
いい体験をしました。
ーーーーーーーーーーーーーー
昨日の虎ノ門ニュースに大阪松井府知事が出演、大阪の改革につき大いに勉強させてもらいました。大阪維新の会以外の会派の異常さも理解できました。特に大阪の自民党、維新には負けて当然です。器が違う。