2019年06月12日
それぞれの人の考え

2019.6.10 比叡山ー恵心堂
ネットを見ていて改めて思うことがある。
自分にとって無難な番組とそうでない番組だ。
無難な番組というのは自分の考えを出さない番組。いろんな人物を登場させ、こんな意見もある、そんな意見もある、自分はいろんな意見を吸収したい、そんな番組だ。但し、保守か反保守(あえてリベラルとは言わない)のスタンスははっきりしている。こういう番組は聞いていて面白い。CGSは代表的。
意見のはっきりしている番組もあるが、この番組はいろんな論客の意見を踏まえての集大成(一人に意見の独走という感じはしない)というようにも受け取れるので、いい番組と思う。チャンネル桜が代表的。
片や、私と異なる意見(**さんを支持、**を支持)を言い切る番組(個人的意見に思える)はついていけない部分があり、そのような人の番組から遠ざかってしまう。ここでは名指しで言わないが、実は本ブログでは触れてきている。
面白いというか、当然ながら、私と同じことを指摘するコメント(YouTubeのコメント欄など)もあるので、「私も一人ではないなー」と変なところで感心する。厄介なのは**さん支持、**を支持という人はそれなりの影響力のある人であり、恐らく、違う意見を彼らにぶつけられない、または、遠慮するのだろう。お山の大将も場合によっては扱いにくいということでしょうか。それぞれいい番組を持っているがゆえに残念です。
ちと飛躍するが、結局、選挙というのは、自分にとって、**は支持できない、**さんは支持できない、それ以外なら許容できるという党や人に投票ということでしょう。入れる政党や人がいない時は辛い状況になる。こんなことが遅まきながらやっと本当にわかってきた。でもこれ(支持・不支持の判断)はネット情報は不可欠ゆえ、ネットと縁がない既存マスコミ依存の人にとっては判断が難しいはずだが、自覚はないでしょう。
* 保守の対立語としてリベラルは使わなかった。自国の存在を否定する(日本独特の存在)のはリベラルではないという認識ゆえだ。保守もピンキリだが、全て含めたつもり。