2019年03月08日
観光地の案内板

2019.3.6 大覚寺ー放生池(大沢池の西)
昨日の記事の続き
嵐山ウオークの時に入手した資料(案内役のリーダーから入手)とか、帰宅後HPやブログを作成している時に見たHPの内容などから改めていろんなことがわかった。
まず第一に言えることは、各観光地(例えば清涼寺)のHPのみでは必要な情報が得られず、個人がアップしているブログやHPはものすごく参考になるということ。
各観光地にすれば、大雑把にわかってもらえればいいということなのか、単なる手抜きなのか、ガイドさんに依存したいのか、この辺りは?だが、非常にHPが貧弱ということ。
具体的に言えば、清涼寺(嵯峨釈迦堂)にある「生の六道」につき、清涼寺のHPでは説明なしゆえ、わざわざネットで調べる必要がある。せめて現地で案内板などおけば、幾分関心を持ってもらえそう。
私のような無関心・無知な人間は、これまで10回くらいきているが、「生の六道」に目が止まったのは初めてかもしれない。それも現場で説明も受けて、理解できないから帰宅後調べてやっとわかったというお粗末さ。
読む読まないは勝手として、せめて説明の標識が欲しい。この標識で、例えば入り口側のお寺に足を運ぶかもしれない。
というところが、今回のウオーキングをまとめて感じたこと。
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いかにも観光地が手抜きと非難しているように見えるが、当方のお粗末さも相当なもので
小倉山ー小倉山荘ー亀山公園ー百人一首ー藤原定家、嵯峨天皇ー大覚寺ー嵯峨院ー嵯峨天皇陵 の関連がわかったのは今回です。
ある域(レベル)に行かないと関心が向かないという典型的な事例でしょう。単なるハイキングの通過点から歴史への関心度アップということか。