2018年06月17日
運命ということか

2018.6.16 比良・リトル比良 ササユリ
先日、田舎に帰った時、偶然にも「会いたい」と思っていた人とお話ができた。
勿論、会いたい人の家に行けば会えるはずゆえ、今回の場合はそれほどの熱意があったわけではない。
でも、Aという場所でBという時間に会いたいと思っていたCさんに偶然出会うということは不思議なことだ。
数年前に同じことがあった。この場合は住所も?電話も?で連絡の取りようがなかった。会える手段がなかった。
まさに、Aという場所でBという時間に会いたいと思っていたCさんに偶然出会った。この場合は出会ったおかげでつぎの手をうつことができた。
家内曰く、「会いたい人に会えるのは、あなたの運命だ」と。
逆に、家内は占い師の言葉を借りると「人を呼ぶ運命を持っている」らしい。
いくつかの例があったと思うが、記憶にあるのは最近の事例。
家内はご近所の小学校で図書の整理を月1回やっている。数ヶ月前までは私とか知り合いも参加して1−3人の体制でやっていた。
ところが事情あって10人くらいがノルマで手伝うようになり、現在は15人くらいで実施中である。大人数ゆえに仕事が進み、従来の仕事(ラッピング)に加え、図書の整理や掃除までできるようになっている。家内が人集めしたわけではなく状況の変化がそのように仕向けたことになる。
うちの母親は何かがあれば運命と言って受け入れていた。運命と思えばどんなマイナス面(戦争)の出来事があっても受け入れるしかない。一つの生き方です。