2020年06月04日

いろんな世界があるということ


2020.6.2 京都・福井県境稜線-- 色濃いタニウツギ

いろんな世界があることに改めて気づく。

コロナをとってもそうだ。マスクをする人、しない人。これが最もわかりやすい一例。

テレビと新聞のみの情報源の人、ネットのみが情報源の人。ネットな場合はピンキリゆえ多彩。周りの人で変わるはずゆえどんな取り巻きを持っているか。特にご近所付き合いなのか、会社のみなのか、趣味の世界のみなのか。

最近は私と違ういろんな人に出会い、改めて一緒に生きることの困難さを思う。どれが正しいかは死ぬ時にしかわからないだろう。にっこりして死ぬか、いずれかの部分を後悔して死ぬか。

今、アメリカで黒人の暴動が起きている。はっきりしているのは、発端となった人物の親族は暴動は求めていない。今後につながる何かを求めているが、現状は求めているものとは程遠い。自然発生的ではない。誰かが旗を振っている。いろんな説が飛び交っている。結局は誰が得をするか、誰が損をするかのところに解答があるのでしょう。今、誰がアメリカの混乱を望んでいるかでしょう。

もっと身近なテーマにすると、安価家電と信頼できる家電、どちらを買うかだ。もっと、わかりやすい事例で言うと、カメラ用のバッテリーは純正なら5000円、わけのわからんメーカーなら1000円以下。この場合はひとそれぞれだろう。私は幾分名の通った1500円ものを買うはず。これは誰もどうのこうの言えるテーマではない。本当に人それぞれ。世の中はそれぞれに対応した製品を販売している。

ところが政治は家電ほど単純ではない。黒人の暴動とほとんど同じ困難さがある。結局のところは一次資料と言われる記録の時系列的な並び替えで真実を探すしかないのでしょう。

結論を急ぐ。いずれの選択が正しいかは、いくつかの事実の積み重ねが教えてくれる。どの位の時間がいるかはケースバイケース。したがって、歴史が証明してくれるとしか言えない。歴史をぞんざいに扱ってはいけない。歴史はその国の貴重な財産ということだ。オーバーな結論になったが、マスクの有無や安価製品の存在の正しさは理屈ではなく時間が答えをだすだろう。いずれも正解は当然ありうる。
  

Posted by まめちるたろう at 04:00Comments(0)まとめ