2019年04月29日
昭和天皇の御製

2019.4.20 京都北山・シキミ
きっかけは昨日のブログで紹介した。御製は天皇の詠まれた和歌のこと。
早速記事(Hanada 6月号)を読んでみた。日本の歴史の本を何冊か読んでいるので、「そうだろうな」という和歌の内容が多いが、岸元首相が亡くなった時に詠まれた和歌には岸元首相への思いが入っているので、「そうなのか」という率直な感想が出てくる。
そもそもこの御製(未発表の和歌200首くらい)については朝日新聞とこの記事の筆者(世界日報・藤橋進さん)がある筋から入手したもので、朝日新聞が先手を打って今年の元旦にすっぱ抜いたという。筆者は遅れて3日に報道。同じ御製に対し、左右の報道機関からの対照的な報道になり、対比も含めて今回の記事(Hanada)で紹介された。
まずは岸元首相への和歌三首と朝日がどのように締めくくったかということを紹介する。
「国の為務たる君は秋またで、世を去りにけり、夕べさびしく」(一部勝手に漢字に変換)
「その上に君のいいたる言葉こそ、思い深けれ、残して消えしは」(同上)
「その上に深き思いを込めて、言いし言葉残して、君消えにけり」(同上、「言葉は声なき声のことなり」の注釈付き)
安保改定反対のデモの声ではなく、デモに参加していない声なき声に耳を傾けるという岸元首相の孤独な戦いに同情的であったということ。この3首が「そうなのか」和歌に該当。
朝日は真ん中の一首だけ紹介し、半藤**さんの次のコメントで締めくくる。「昭和天皇は岸首相の考えを「思い深けれ」と評価し、深く思いを寄せていたのかと複雑な気持ちにとらわれる。心から驚いている。」
以前に話題にしたが、安保改定は米との不平等条約の改定も含み、日本にとって、なんら反対に当たらないものだったが、なぜか時の野党は学生を取り込んで反対闘争した為、逃げもせず官邸にとどまった岸元首相は弟(佐藤栄作さん)と死を覚悟したとどこぞに記載と記憶。
天皇は立場上、政治的発言はせず、時の内閣に従うのみ。通常は岸元首相への思い入れは表に出さないでしょう。
昭和天皇の御製の大半は宮内庁の編集した「おほうなばら」に収録されている。何を発表し、何を発表しないかは宮内庁の独断で決まる。先の3首が宮内庁の判断でカットされていたわけだ。
戦争終結への思い・民への思い、乃木大将(昭和天皇の子供時代の教育担当)から教わったこと、皇后さまへの思い、沖縄への思いなど和歌は「そうだろうな」と言っていいでしょう。実際の歌は省略。