2017年12月29日
読書について

2017.12.27 鈴鹿・綿向山
12/13から12/20まで総集編や番外編で8日連続して記事にした。
12/27には最終の山行を終え、年末独特の作業をしつつ、頭に浮かんだテーマの一つは読書。
所謂読書から遠ざかって数十年は経っていると思う。勿論、パソコン絡みの本、山の本、マップなどは購入してきたが、読書とは言い難い本だ。
パソコン関係ではMAC関連本が代表的、MACについての知識はゼロで全て本と現物から学んだ。結局15000円くらい(数年間)の出費。
山の本は関西の山のガイドブック「分県登山ガイド」の10冊が代表的で15000円くらい(数年間)の出費。
これらの本は必要な箇所の拾い読みでこなせる。
今年の夏くらいから、政治や歴史絡みの雑誌や本を漁り出した。雑誌については何種類かの雑誌となるのですでに10冊は越えた。いずれ一つの雑誌に固定するつもり。同じような記事が多いので1冊にしないと勿体無いでしょう。本も10冊くらい(一部中古本)貯まった。興味の持てた本、努力して読んだ本、色々でした。15000円くらい(6カ月)かな。
一部の本や雑誌は記事中で紹介しました。
ネットで得られる情報の集大成版が雑誌や本といっていいでしょう。
本、ネットは個人の考えを主張する場でいろんな違う意見と出会うことができる。しかし、雑誌、テレビ、新聞は編集者などの考えに合致するものしか採用できないでしょう。雑誌や新聞は主張を持っていて読者も理解しているはずだが、テレビは公平という前提で見ている人が多いと思うので怖い面を持つ。
そういう視点に立つと、ネットは当たり前としても本の存在の大きさに改めてびっくりする。本の場合は出版社の意向も幾分反映するとは思うが、寛大な出版社もありそうなので致命的な制約にはなっていないでしょう。最悪、自費出版もありうる。
結論はネット情報が最もフリーということになる。逆に立ちの悪いのはテレビとなる。本の位置付け(ネットに近い自由な考えを披露できる)をここまで考えたのは初めてです。