2019年07月21日
お隣の不買運動で思うこと

2019.7.20 我が家のゴーヤカーテン
お隣の国で日本製品の不買運動が盛んに実施されているとのこと。
いくつか大事なことがある。
一つは日本依存の部品や原料があることを知っていてやっているならどうしようもない。知らないでやっているなら幸せな人です。昨日ネットで見た、日本の世界シェア100%の部品MLCC(積層セラミックキャパシターエンジンや変速機の動力伝達装置)は車部品として必須らしい。これも不買としたら、車の生産もストップだ。半導体を扱う大会社、車を扱う大会社が潰れてしまう。
二つ目、結局は歴史教育や日頃のマスコミ情報(慰安*、応募工など)から日本憎しになっているゆえ、急な変化は絶対無理。行くところまで行くだろう。
三つ目、日本側はまだまだ次の手が控えている。特にお金(貿易など)の決済がらみは決定的な事項だが、日本の銀行(コルレス銀行ー世界で通用する決済可能銀行)に依存している。なぜこのことを心配せずに、懲りずに日本叩きをするか理解できない。一般大衆が知っているかどうかは?だが、政治家は分かっていることゆえ、理解不能。
要は嘘でスタートしているので落とし所がないはず。お隣としては日本が悪者ゆえ謝らないと納得できないが、日本としてはむしろ感謝して欲しい(使用したお金、人力)と思っているくらいの立場ゆえ、謝る理由がない。妥協点はない。
実はこれは人ごとではない。日本も戦後教育で日本=悪者を定着化してきた。最近になり漸くそれは違うでしょうという意見が言えるようになってきて、今のお隣への対応につながってきた。まさに先の二つ目のコメントはそっくり日本にも当てはまる。日本では一見、保守が強いようだが、実際は戦後教育にどっぷり浸かった親C 、親Kの日本嫌い?の保守が大半、このため、日本を維持する憲法改定もできない。
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サンケイの電子版(2019.7.21)からの抜粋
最近、地方の教育当局が「修学旅行」は日本語だから使用はやめようと日本語追放策を発表した。これもよくある反日シンドロームだが、さすがに識者から「そんなことをいえば教育、学校、教室、国語、理科、社会から憲法、民主主義、市民、新聞、放送…すべて日本製じゃないか」といって笑われていた。不買運動にもどこか似たような切なさがある。
2019年07月08日
古墳群が世界遺産に登録

2019.7.5 奈良・景行天皇陵付近のお花畑
ユネスコの存在を否定(政治的存在ゆえに)する立場ゆえ、この嬉しそうなタイトルは矛盾する。
でも地元の人が喜んでいるのに、「喜ぶのはおかしい」というのもおかしいでしょう。
でもあえていうけど、世界遺産になろうがそうでなかろうが、古墳の存在価値は全く変わらない。日本としては大事な遺産であることは確か。
一方、世界遺産になったがゆえに観光収入が増え、自治体にとっては大いに好ましいのは間違いない。
私は今年の5−6月の2日間で百舌鳥古墳群と古市古墳群を訪れた。日本で1−2位の巨大古墳を見ておきたかったことと、そこで発見された埴輪や土器なども見ておきたかった。大きさに感心するとともにこのような世界に誇れるものを作れるパワーと保存しようというパワーに敬服した。
最も大事なことは保存された古墳群や遺跡から日本の歴史をはっきりさせることでしょう。世界的にも最古と言われる遺跡や石器や土器が発見されても、なぜか教科書には反映されないという実態はなぜなのでしょうか。縄文文化の凄さゆえに注目をあび、日本文明の存在まで云々されているのに、なぜ、子供達に教える教科書に変化(四大文明に加え、日本文明などの存在)がないのでしょうか。いろんな発見で世界最古と科学的に実証されても反映しない不思議な世界が存在する。
先日出掛けた奈良の巻向駅付近の古墳群に箸墓古墳がある。宮内庁によって倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ 第7代孝霊天皇皇女)の墓に指定されている前方後円墳だが、邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓とも言われている。こういうのもはっきりさせて欲しいもののひとつ。卑弥呼の存在は記紀では記載がないのに、魏志倭人伝に記載されているがために、存在を主張し、しかも大和に居たという説が教科書に記載されている。日本に存在する歴史書を退けて、他国の歴史書(卑弥呼が単に九州の一つの主であるなら記紀とは矛盾がないだろう)が日本の歴史を作るなど、本当に不思議な世界です。
占領下で記紀を認めないが故の結論だったのでしょう。占領後、それを修正しようとしない歴史学者の存在が情けない。
世界遺産をとっかかりにして卑弥呼の存在を、先日紹介した「日本の誕生」(長浜浩明著)を参考にして書いてしまいました、ご容赦。
2019年07月06日
古墳巡りの第三弾

2019.7.5 箸墓古墳と三輪山
例によって行先と立ち寄り先は決めているが、距離と時間は無視の計画、結果は17Km 6Hr 累積標高差400m でした。
厳しいウオーキングでした。
柳本駅を9時に出発して、崇神天皇陵や箸墓古墳などをぬかりなくチェックして、11Km 3.5Hrで狭井神社(さいじんじゃ)に到着。
入山心得10か条の確認後入山料を支払い、たすきを貰って三輪山に入る。
概ね2Hrで登拝を終えることができる。定かではないが概ね10-15組に出会ったと思う。
平日でもこのくらいの人数の方が登拝していることに感心する。
狭井神社も大神神社(おおみわじんじゃ)の境内にあるひとつの分社だ。
説明にあるように大神神社の本殿が三輪山となる。裸足で登っていた女性もいた。恥ずかしながらそれをみて脱帽した。
いつものように疲れ果て、近鉄・桜井駅まで歩く元気はなく、PM3にJR三輪駅にたどりつく。
山の辺の道は数回トライしている。今回は天皇陵と古墳と三輪山をめぐるウオーキングだ。心意気の違いを感じた。
日本の古墳は歴史を証明している。今回も黒塚古墳展示館でレプリカだが鏡などを見てきた。日本の歴史を残す姿勢に敬服する。
古墳の存在が天皇陵の正しさを証明しているようにも思う。
繰り返しになるが、例えば天皇陵への接し方も本人の気持ちも持ち方で変わるなと本当に思う。裸足の三輪山登山が典型的な事例になる。
外人は理解できないだろう。
2019年06月21日
志賀越えの三体の阿弥陀さん


20196.19 上; 北白川ー子安観音 左; 北白川ー2体の大日如来
発端はすでに処分した山のグループの会報誌でしょう。処分済みゆえ確認は不可。
「志賀越えに3体の阿弥陀さんがあり、旅の安全を祈願した」だったと思う。
滋賀里から狸谷不動尊への道はハイキングで数回の実績がある。このため、阿弥陀さんの二つ(大津市の管理?)、志賀大仏と山中町西教寺の阿弥陀さんはよく知っている。
山のグループでのこの企画も2回目となり、一工夫欲しいなという事情もあり、北白川の阿弥陀さんに会おうと決めた。
ところがネットで調べると北白川に3体の石仏があり、志賀越えの阿弥陀さんの3体のうちの1体に該当するものがどれかが?であった。
しかも、一体は子安観音、他の2体は大日如来(同じ場所にある)とのことゆえ、阿弥陀さんではない。ややこしいことには、子安観音はかつては阿弥陀さんだったとか、大日如来ではなくあれは阿弥陀さんだと勝手な解釈まで付いている。
観光協会や京都市はどちらも志賀越えの阿弥陀さんという表現は採用しておらず、どちらかといえば、北白川の石仏3体という表現が一般的なようだ。
さらに、ややこしくさせているのは、これら3体が正に志賀街道沿いにあること。いずれかが、外れていたら、嘘でもこれだと言えるのだが。
6/19のハイキングの時は子安観音を3つ目の阿弥陀さんと言い切って締めた。大きいので納得できるでしょう。
2019年06月16日
不合格教科書の中身 その2

2019.6.14 歴史本の一部
先日読み終えた。
当然ながら、保守系の人が書いた本は、やはり天皇の行動や言動、日本人の良さ、間違って伝えられていることの修正版などは共通している。
従って、初めて知ったというより、あの本でも記載されていたなーというのが多い。
明治以降はいろんな記録が残っているだけに、ストーリー性がなくなり事実の列挙に陥りやすい。加えて、注釈を入れようとするなら更に文章が長くなるので、教科書にどう盛り込むのがいいかは難しいなと思う。特にこの不合格教科書は絵も写真もないので、読み続けるのがしんどくなってくる。
そういう意味では所々で出てくるトピックなどは大いに興味深い。
教育勅語の良さ; これまで渡部昇一さんの本で取り上げてきたので省略。天皇自ら遵守するゆえ、皆も守ってくれというモラルの集大成ーーー 教育勅語は戦争賛美ではない、家族、仲間、国を大事にと言っているだけ、これは当然のこと。
明治23年のトルコ軍艦エルトウールル号の遭難・救出と昭和60年のイラン・イラク戦争中の日本人救出;トルコでは知られているのに日本人は知らないーーー 日本人はこんなこともやってきたという事例が他の本でもいくつか出てくる。これらが日本への敬愛の念の元になっている。
昭和天皇とマッカーサーの会談;これまで小名木さんの歴史の話(CGS)で取り上げた。命乞いしない天皇にびっくり。ーーー 天皇の心意気はなぜか保守系の歴史本でしか取り上げられない。災害時に天皇のなされる行動と符合し納得させられる。
朝*新聞の誤報;慰安*に関わる吉田清治の記事につき誤報とわかっても20年弱放置する体質ーーー 新聞が問われる。加えて検索不可の操作までやっていたから相当な悪です。
日本を取り巻く厳しい環境;拉致、北方領土、竹島、尖閣諸島の問題ーーー 討論すればいろんな意見が出るでしょう
読後感で言えるのは、中学校の教育はこんなレベルが高かったのかと感心。暗記の歴史ということしか頭に残っていないが、この不合格教科書はものすごく考えさせられる。こんなことで良かったのかとか、なぜこんなことしたんだろうとか、例えば教育勅語がなぜ悪いのか、なぜ反保守は目の敵にするのか??
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昨日、漸く棚の整理を終えた。苦労して集めた資料もあるが、自分の歳を考え、もう無理というのはバッサリ処分。おそらく1500ページ分。本日は山も中止ゆえ背表紙の作成をする。
2019年06月15日
不合格教科書の中身

2019.6.14 世界各国略年表(引用元は図表の下部)
竹田恒彦さんの「中学歴史の不合格品」を紹介する。
まず、なぜ教科書を作ろうとしたか。平成25年の福岡県の高校生建国意識調査で「建国の年、建国した人物」につき、正しい答えはそれぞれ2%であった。他の国でこんなことがありうるかが発端と見える。
日本の教科書が建国の経緯を書かないのはGHQの決めた「教科書検閲の基準」の影響が大きい。
徹底的に排除されたこと;天皇に関する用語、国家的拡張に関する用語、愛国心につながる用語、日本国の神話の起源や楠木正成のような英雄および道義的人物としての皇族、神道や祭祀および神社に関する言及 など
道義的人物としての皇族の一例;元寇への亀山上皇の言動と行動や、仁徳天皇の「民の竈」は記載不可
竹田さんはこれはいかんということで「国史教科書」を作成したが、不合格になったということ、そのため、不合格の教科書を自主出版するとともに来年には合格教科書を作りたいということで健闘中、という段階だ。
教科書の巻頭言では「最も歴史の長い国は日本」と言い切っている。例えば、ローマ帝国はあったが滅びてしまったなど。日本は神武天皇以降王朝が途切れることなく(万世一系の皇統が)続いている。古墳時代以降としても日本が最も長いことに変わりはない。島国であることが幸いしたのは間違いない。祖先は縄文人。ーー 冒頭の図参照(教科書から引用した表)
以下、トピックのみ。
日本の磨製石器は世界最古;昭和21年相沢忠洋が岩宿遺跡で発見ー35000年前 現時点では最古
世界最古級の土器は縄文土器;平成10年大平山元1遺跡で発見ー模様なしだが16500年前 現時点では最古(記憶では中国でさらに古い土器が見つかったらしいが日本で年代特定しようと提案すると紛失のためないらしい、このため最古級の表現)
縄文時代の大規模集落;平成4年三内丸山遺跡ー5900から4300年前3000棟以上 1600年間にわたり集団生活、弥生時代以前からの集団生活
かつてはエジプト メソポタミア インダス 黄河が世界の四大文明と言われてきたが、今は日本を含め多くの地で文明の起源を持っていたと言われている。その一つが日本文明だ。ーーー これまでも記事で取り上げたが、Y染色体やミトコンドリアの研究から日本の祖先は大陸ではなく南からきて独自の民族を作り上げ縄文人に結びつく。
ほとんどが教科書を参考にしているが一部これまでに取り上げた記事を再度採用
(参考)
「中学歴史 平成30年度 文部科学省検定不合格教科書」 竹田恒彦(発行人) 令和書籍株式会社(発行所)
2019年06月10日
記紀を比べる

2019.6.9 記紀の比較
左の表は神武天皇の項での比較表の一部です。但し、大前提があります。あくまで現代語訳本の比較です。
記紀の正式本は一言でいうなら「読みを無理に漢字で書いた」文になっています。ひらがなが存在する前の本ゆえ仕方のないことです。
名前が一行目から違っています。気にしない気にしない。
古事記でなくて日本書紀であるのは日付と年齢、お墓の場所。あらすじの骨子は類似しているものの、中身は結構異なっています。
いろんな出来事から地名が決まっていくのも興味の持てるところです。いずれの書物も伝聞ベースゆえ仕方ないでしょう。
記紀の否定ありきの人は論外として、先に紹介した長浜さんはできるだけ日本書紀の内容を確認したいという意図で動かれるのでしょう。
神武天皇陵も日本書紀に記載されており、その場所に現存するわけだから、大いに興味はある。存在しない天皇の墓を何年もかけてつくるか??。 但し、盗掘の可能性もあるので発掘調査結果によっては揉めるでしょう。
先日、テレビだったかネットだったか定かでないが、現状では10代の崇神天皇以降は実在とみなされている。ところが12代の景行天皇の息子のヤマトタケルの話が神話という解説で垂れ流しとなっている。面白い現象です。
手元の山川教科書(2010年)では26代の継体天皇から在位年が記載されている。でも31代の用明天皇の息子(聖徳太子の存在が目障りなのかな)はいなかったという説もまかり通っている。肯定派・否定派きちんと「おもて」でやってほしい。それが歴史家の使命でしょう。不確かならふたつの説があるでいい、いずれ新たな資料ではっきりするでしょう。でも「・・・・ありき」は気に入らない。
西暦で書かれた教科書もあるらしい。日本はキリスト教国と言いたのか?? 基本は神と仏の国です。
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以下 重要連絡
サーバーから下記の連絡が来ています。
アドレスが従来の http://yukippe.shiga-saku.net が https://yukippe.shiga-saku.net
となります。セキュリティが安全サイドに移行します。
■実施日予定日
2019年6月20日(木) 10:00~14:00
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実施前:http://shiga-saku.net/
↓
実施後:https://shiga-saku.net/
(http → httpsとURLが変更になります)
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2019年06月08日
日本書紀を読む

2019.6.1 峰床山ーヤマボウシ
日本書紀を読むとしたが、実際は宇治谷 孟さんの全現代語訳を読んでいるだけ。
上下2冊の中古本を入手した。先日紹介した「日本の誕生」の神武天皇の東征についての勉強から開始です。
神代は後日改めてということで、神武天皇の項から読んでいる。
古事記との対比もあるので、表のソフト(エクセル相当のMAC版)で時系列的に対比しながら、古事記と日本書紀を同時に読んでいる。
いずれも作者の記憶ベースの書物ゆえ、食い違って当たり前とは思っている。個人的にはどのくらいに違うのかなくらいの程度の興味だ。
古事記(竹田恒泰著 現代語古事記)で40P、日本書紀で20Pくらいのもの。まだスタートした直後だが、早速感想はある。
古事記と日本書紀で幾分かの食い違いはあるものの、骨子は同じ。単なる記憶の相違の類。作り話にしては骨子が同じは不自然ゆえ、やはり事実と考えた方が納得できる。
神武天皇不在論の根拠の一つは年齢に対する疑問でしょう。先に紹介した「日本の誕生」の長浜説で説明できるので、これから面白くなるでしょう。但し、天皇誕生後2600年という類の文言は見直すことになるゆえ、相当揉めるでしょう。長浜説では2019+70ゆえ概ね2090年と500年くらい短くなってしまう。
先日たまたまテレビを観ていたら(ぶらぶら美術・博物館)、朝鮮半島から焼き物技術を取得という説明があったように聞こえた。日本では縄文時代の土偶、弥生時代の土器、古墳時代の埴輪などすでに焼き物はあったと思うが?? 何が違うのかな。焼き物技術がいくつもあるということか?
再度紹介 Y染色体とミトコンドリアDNAから日本人のルーツをみる
「世界史とつなげて学べ 超日本史」 茂木誠著 KADOKAWA
「日本の誕生 皇室と日本人のルーツ」 長浜 浩明著 ワック
2019年06月04日
「日本の誕生」読後感

2019.6.1 峰床山ーナナカマド
「日本の誕生」を雑く読み終えた。雑くというのは拾い読み程度。
でも非常に面白かった。私の好きな渡部昇一さんに結構きつく意見し、今読んでいる田中英道さんの古代史観も一蹴されている。
私の理解で言えば、著者の長浜浩明さんは記紀や魏志倭人伝をまずはしっかりと読み、理解し、不具合点・例えば、天皇の年齢に関わるところなどを整合性が出るようにそれなりの解釈で説明している。この年代を修正しないと、邪馬台国など諸々記載内容に不整合が出てくる。
結論的には神武天皇の即位はBC660ではなくBC70として、他の天皇についてもデータベースに修正を加えている。根拠は記紀に記載されている内容と炭素の同位元素による年代推定による。
なぜ記紀の内容が正しいかは、大阪平野の昔の状態(科学ベースでの推論)と神武天皇の東征の整合性(辻褄が合う)が根拠となっている。
一方、邪馬台国についても北九州説で説明ができるとし、記紀で無視されているのはその程度の存在出会ったということ、逆に魏志倭人伝でいかにも邪馬台国が日本を統一したかのごとき記載があるのは、彼らにとっては北九州が倭の国の全ての認識であり、その程度の国という認識のためだろう。
また、以前に紹介(「超日本史」の本)したが、Y染色体とミトコンドリアのデータに基づき、日本人はアフリカから南方ルート来ており、大陸から来た人種ではないということ。むしろ、日本が朝鮮半島に進出。
戦後のGHQの指導で大学には記紀否定論者のみの巣窟になった。その存在は否定すべきではないが、記紀を擁護するものも含めて古代史の見直しをしないと正常な古代史の整理はできないでしょう。特に石器時代などの古い時代については遺跡の発掘で日本の古さが証明されているのに、それすら否定するトンデモナイ教科書の存在そのものがおかしいでしょう。
例によって私の勝手な理解ゆえ間違った認識はご容赦。
2019年05月02日
令和の時代の始まり

2018.4.30 比良・蛇谷ヶ峰山麓ーキンラン
一昨日は平成31年4月30日、昨日は令和元年の5月1日。わたしにとっての令和元年は充実のシニア生活の下り坂の途中かな。
とくれば昭和とか平成の始まりはいつだったか気になるところ。
案の定、誰かが質問している。答えは
昭和元年; 大正15年12月26日に昭和と改元。しかし施行日は記載なし。
平成元年; 昭和64年1月7日 平成と改元。1月8日施行とあり、1月8日からが平成とわかる。
わたしにとっての平成元年は働き盛りの40代、改元のときの記憶はほとんどない。また今上天皇という言葉も知らなかった。
あと、西暦に換算する簡単な方法も気になってくる。
昭和は誕生している時代ゆえ、換算の数字はすぐ出てくる。 昭和XX年に25を加えたら西暦だ。昭和20年なら1945年。
平成は最近の31年と2019年を覚えているので、差は12。2000年は平成12年だ。
家の曽祖父は慶応・明治・大正・昭和と4つの時代を生きた。大正が短かったゆえに4時代はあり得たのでしょう。一方、両親は大正生まれで昭和が長かったがゆえに、平成含め3つの時代、私の様な戦後世代も令和含め3時代生きたことになるでしょう。
最近だったと思うが、野党の国会議員が「西暦から年齢を引くと生まれた年がわかる」と感心していたという記事があったと思う。こんなわけのわからないひとが国会議員になれるのは不思議だ。