2025年01月07日
ブログの効用 その*

2021.1.4 余呉湖
同じタイトルで何回目かの投稿だ。私にとってはそれほどの価値のあるタイトルだ。
役割は備忘録だ。相手がいればメールもその機能を持つ。文書でのやり取りゆえ、言った言わないという話にはならない。私の場合はメモ張と本ブログとメールを備忘録として使っている。メモ張は終われば廃棄するので後々に残らない。本ブログやメールで記載されたものは削除しない限りは残る。
例をあげよう。メモ帳には「明日、**さんにTEL連絡」の類を記載する。そして翌日、要件が済めば消し込む。ブログに記載するケースでは「SSDに切り替える手順」とか「ジオグラフィカの軌跡をパソコンに移動する方法」をざっと記載しておく。後日、同じような対応が必要な時は見返して思い出す、という具合だ。
さらにいえば、自分にノルマをかけることになる。「**でトラブル発生」と記載すれば、当然、そのフォローは必要でしょう。起承転結とかPDCAというノルマ達成の手段を使うことになる。
以上のように個人で使う分には極めて良い方法だと思う。ところが、残念ながら悪用する連中がいる。他人への誹謗中傷、嘘の羅列、いうたらネットの悪用だ。特に影響が大きいのはSNSだ。恐らく設定次第だと思うが、Facebookとかinstagram は頻繁にメールに入ってくる。ブログであればフォローしないとメール伝達はないと思うが、SNSは初期設定が伝達するということになっているのだろう。
ここで「投稿の自由」がテーマになってくる。結論を言わしてもらうと、規制より自由がいいのだろう。そして、閲覧側が賢く判断するということになる。なぜなら、トランプも斎藤知事もSNSで蘇ったと言っていいだろう。そして、反トランプ側、反斎藤側は誹謗中傷やデマという名目でSNSの規制をやろうとしている。まさにここに解答がある。「既成勢力側は規制することで既成勢力の維持を図る」ということだ。閲覧側が判断することを妨げてはいけない。イーロンマスクの主張が正しい。ツイッターではなくXが正しい。誹謗中傷やデマは時間をかければ(時間は必要)潰される運命にある。
ブログの効用を訴えたつもりが、結論は投稿の自由が大事となった。
Posted by まめちるたろう at 06:13│Comments(0)
│ネット
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