山に行けない寂しさ
2023.3.20 皇子が丘公園ー初御代桜
2021年の暮れから山に行けていない。でも、実際は3回くらいは一人で山に行っていた。最近は街道歩きが楽しいゆえに山には全く行っていない。
山に行けない理由は足裏の突起(骨)のためだ。行けばさらに突起が大きくなる。従って、ひたすら自粛しかない。整体治療を受けているので、歩くのに不自由はない。が、時々アーチ崩れを指摘されるので要注意だ。アーチ崩れは突起が大きくなる前兆だ。
こんな状態ゆえ、かつての山写真を見るのは楽しみでもあり、歩けないことを無念に思う時でもある。
近い未来に歩くこともできなくなったら、街道歩きの写真も楽しみであり、無念に思うのだろう。何はともあれ「おじさんの山旅」シリーズで日記として残して置くことは私にとってはいいことと思う。
最近、家内のスノーシューやアイゼン、沢靴を処分した。私の分は一部は廃棄したが、一部は残している。未練たらしいが捨てるに忍びない。
思い出に耽っても仕方がないが、沢靴で芦生の沢をじゃぶじゃぶ歩いたり、沢沿いでへつっていて沢に転落したり、スノーシューで乗鞍岳(滋賀ー福井県境)からスキー場を目指し下ったりなどなど鮮明な記憶も多くある。いろんな大事なことを忘れていてもそれらは頭に残っている。本当に不思議なことだ。
タイトルに戻ろう。ある時、ふっと思い立って、「おじさんの山旅」とか山のグループのブログなどを見る時がある。「おじさんの山旅」では人物の写真は入れてない(個人情報を考慮)。でもグループのブログでは集合写真などで人物写真を入れている。見ていて本当に楽しい。場面も思い出す。これらのホームページやブログを書き、残してきた自分に感謝したいくらいだ。
私は数年前にアルバムを電子化して、アルバム写真はほとんど廃棄した。従って、私はこの電子アルバムと今作成しているブログやホームページという電子媒体で残しており、ベッドでも退屈しないように準備している。もちろん、ベッドで長居するつもりはない。
こんなことを考えるのは寂しいが現実はそうだろう。今することは記録に残すことだ。自分のために。
関連記事