比叡山・瑠璃堂に行く

まめちるたろう

2016年02月25日 10:36


2016.2.24 小雪模様 比叡山・峰道

山のグループで比叡山に行った。企画時点では積雪のなかを仰木峠から水井山―横高山と縦走し峰道を経て坂本に下る計画であったが、積雪もなく計画を大幅に変更し、上仰木ー定光院ー横川中堂ー横川越えー釈迦堂ー瑠璃堂ー浄土院ー根本中堂ー坂本とした。

このグループは京都のひとが多いのでどちらかといえば琵琶湖側からのアプローチは不得手。一方のわたしは坂本近辺在住ゆえ、琵琶湖側からのアプローチは得意とするところ。

瑠璃堂は知っている方は意外と少ない。わたしも知ったのは最近ゆえ生意気に言える立場にはまったくない。でもいざ知ってしまうと自慢したくなるところなのでしょう。案内したくなる。

このような事情で上記コースができた。

去年だったと思うが、定光院に登るルート(赤子坂という)も体験したこともあり、この周辺のルートについてはいろんな道を2次元的によく把握しているつもり。このことで自信もって行ける数少ないルートのひとつとなっている。

が、案内していて思うことはあまりにも、ルート以外は無知だということ。例えば、瑠璃堂については信長の焼き討ちを逃れたことしか知らない。よって、いつの建物とか中になにがあるのかと問われたら、「知らない」という言葉しかでてこない。

いま手元に「比叡山三塔諸堂沿革史」(武 覚超著 叡山学院発行)なる書物を持っている。この書物には今回通った「瑠璃堂」「みろく石仏」などをしっかり紹介している。せめて「瑠璃堂」のコピーくらいは持っていくべきかなと少し反省。「みろく石仏」(近くを通ったことはあるが書物に記載されているほどのものとの認識はゼロ)は現地で初めて教えてもらったものゆえやむなしです。

そもそも高価であった「比叡山三塔諸堂沿革史」がなぜ手元にあるかというと、比叡山の古道を調べる(実際に行くため)ためであった。本屋にはなく叡山学院(地元ゆえ近いですが)に出向き購入した経緯がある。

今回を教訓にケースバイケースで資料を準備していこうと思う。琵琶湖疎水のウオーキングを企画したときに琵琶湖疎水を勉強したことを思い出しています。それほどのパワーはなくなっているのでほどほどに。


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