時計のお話の続編
2017.5.6 宇治・興聖寺の新緑
時計の価格と同じようなネタがわたしの周辺にいやというほど転がっている。
背広、靴、ワイシャツ、ネクタイ、カバンなどなど。これらの中で自慢?できるのはネクタイだけ。なぜならネクタイは海外みやげなどプレゼント(娘たち)が多いため。言い換えるとわたしが買っていないもの。
カメラ、山道具、パソコンなど趣味も同様かもしれない。カメラも時計同様ケタが2ケタくらいの違いがあるかもしれません。
パソコンも安価パソコンが好きだ。メモリーなど増設するが追加費用(外付けHD込み)はせいぜい2万円くらい。従ってトータル数万円。
一方、例えばパソコンではわざわざ高価なMAC(10万円くらい windowsパソコンが2台買える)を買って、使いこなし、このためにスマホ購入は断念しているという異常ケースもある。また、安いとはいえ、必要性のほとんどない(パソコンで十分かも)TVスティック(windows10)をわざわざ購入。これは趣味の領域のものでほとんど毎日使っている。用途はYOU TUBEでの音楽鑑賞ーーーほとんどすべての音楽を網羅していて無料(クラッシックから歌謡曲まで)
この安価指向はいつ形成されたのだろう。若い頃(月給は5万円より相当低かったでしょう)は、オーディオセット10万以上、パソコンセット(PC-8001)は40万円以上だったと記憶、これらを平気で買っていた。これらが結局は価値がなくなり、廃棄の運命になっていくのを体験したからでしょうか。わたしの場合はPC-8001(BASIC 1979)の後続パソコンはwindows95パソコン(1995)だったと思う(間になにかあったかも??記憶なし)ので相当我慢して使っていたはず。これらは趣味のお話。
やはり、単純に背広や靴などの価値がわからず、お金を使いたくなかったのでしょう。無駄な買い物という意識があったのでしょう。笑い話としていまでも皆さんに紹介している話がある。見本市に参加した際に会社の若い女性から「その背広エリが細い?ですね」と言われた。その背広は入社したときから着用している親からもらったあつらえの背広(10年以上は着用していたはず、ひょっとして20年かも)。背広にも流行があるとの認識はないので彼らの言い分が理解できなかったという哀れなお話。
いまは流行は理解しつつもに流行に流されず、残された短い人生にふさわしいものを購入しているつもり。
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